被災地

日限山 重機

 

今月13日から仙台市で開かれるゲシュタルト療法学会10周年記念大会に参加するついでに、

その前日12日に仙台市の南にある岩沼市と名取市を訪れました。

その両市は東日本大震災が起こった年の5月に、

岩沼市でボランティア

(…といっても、やったのは堆積した泥かきだけど)の作業をした時と

その2年後に訪れた事があり、それ以来6年ぶりになります。

  

そこには全線開通した常磐自動車道を通ってバイクで行きましたが、

原発事故による帰還困難区域が近付くにつれて

道路脇の表示板に表示される放射線量が徐々に上がっていく事や、

7月なのに雑草が生えたままの田畑、

平地一面に覆われた黒いビニールに被された除染土の山などが

目に入る度に気が重くなりましたが、

そしてバイクで降りるのは禁止されている大熊インターチェンジ周辺に残っている

瓦が落ちたか屋根を白いビニールで覆われた家や

開けっ放しの窓から散乱した室内が見える家など、

原発事故が起こり避難命令を出てから住むことが出来ず

放置されたままの建物が目に入ると、

絶句し心が固まるような感じがしました。

 

東日本大震災が起こった2年後に相馬方面から国道6号線を南へ

帰還困難区域にある検問まで行った際に、

津波で流されひっくり返ったまま放置された車や

窓ガラスが割れ崩れかかったままの建物を見た時も絶句しましたが、

震災から8年以上が経ったのに復興が進まずそのままでしたので、

その時以上の驚きだったのかもしれません。

 

夕方ごろ岩沼市に着き被害のあった海の方に行きました。

 震災時に上下ひっくり返った築5年位の家を見た先の所で、

震災前の事は解りませんが、蔵が流されずに残っていたので

集落のあった所のように思います。

 

その横には土が盛られ小山のような津波の避難所が出来、

その一帯は公園として整備されていました。

小学生ぐらいの子供達を連れた家族が遊んでいて、

近くに車が停めてあるのが目に入りました。

この一帯には集落は全く無く、この辺りに何かご縁があった方達なのでしょうか。

 

岩沼市 蔵周辺
岩沼市 残った蔵と小山

 

そこから名取市の方に向かって北上しましたが、

海に近い所には集落など全く見当たらず、

避難所の小山がいくつか見えるばかりでした。

 

 

名取市に入り少し内陸の方を通ると

建っている建物はどれも新しく、

震災後に建てられた物ばかりのようです。

 

ナビに従って海の近く閖上(ゆりあげ)にある日和山の方に向かい道を進んでいきました。

ナビ表示にあった交差点や道、中学校や郵便局などといった施設は全く見当たらず、

更地だけが目に入るばかりでした。

私が現在使っているバイクナビは昔に買ったにもかかわらず、

地図の更新を全く行っておらず、

表示された物は震災前復興前の地図でした。

 

2回目震災から2年後に行った時には覚えのない道を通り日和山に着きました。

ここは海の近くにあり、上には神社が祀られている小山で

近くには震災時に来た津波と同じ高さの慰霊碑があります。

 

震災の年に日和山に訪れた際は、

その一帯は住居の土台とコンクリ片などの瓦礫、

それに供えられた花だけが、

この一帯は集落だったと物語るものはありませんでした。

 

それから8年以上も過ぎ、

ちょっと離れた海の方には復興市場の建物や

かまぼこか何かの工場が2棟くらい目が入るものの、

日和山一帯はまだ更地のままでした。

  

 

 

閖上でも内陸側主要道路沿いの方は住宅街が作られており、

瓦礫が片付き更地になっただけでも復興は以前と比べたら進んでいると言えます。

 

それでも震災地に短時間ながらも訪れてみて、

『震災はまだ終わっていない』

それを痛感しました。